美術館の建築について

 

建築家 毛綱毅曠

毛綱毅曠(もづな きこう)は、北海道釧路市出身の建築家。ヒトが宇宙や自然と共生できる風水を取り入れた設計コンセプトにもとづいて設計・デザインを行う。東洋思想をイメージ化した独創的なデザインは、建築界・美術界に大きな影響を与える。2001年、北海道立釧路芸術館で「毛綱毅曠展」開催の直前に逝去。

1941年(昭和16年) 北海道釧路市に生まれる
1965年(昭和40年) 神戸大学工学部建築学科卒業
その後、同大学の助手を務め、「毛綱モン太」の名で設計をはじめる
1978年(昭和53年) (株)毛綱毅曠建築事務所を設立
1995年(平成 7年) 多摩美術大学建築学部教授
2001年(平成13年) 逝去

参考文献
『毛綱 毅曠展 (記憶術としての空間)』 北海道立釧路芸術館、2001年

 

主な建築作品と著書
反住器 (1972年) 
釧路市立博物館 (1985年に日本建築学会賞を受賞)
釧路フィッシャーズ・ワーフ (1989年)
『都市の遺伝子』 毛綱毅曠、青土社、1987年 
『七福神招来の建築術』 毛綱毅曠、光文社、1988年
『詠み人知らずのデザイン』 毛綱毅曠、TOTO出版、1993年  

 

美術館の建築コンセプト

その1
四神相応 東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武の四つの神様を配する、風水で最高の吉相と言われる地相のことです。四神がいる土地に住むと、一族が長く繁栄すると考えられています。日本では、平安京がこの思想をもとに造営されました。この思想を取り入れ、美術館の各棟はそれぞれの神様の姿をもとにデザインされています。

image毛綱毅曠筆

その2
雲 自由に変化する象徴として、館内には「雲」をイメージしたオブジェや装飾が施されています。 来館の際は、ぜひ雲のオブジェを探してみてください。 

その3
伝統工芸とのコラボレーション ガラスの廊下にある、黒い手すりに漆塗りが施されるなど、石川県の伝統産業と美術館の装飾がコラボレーションしています。

 

屋外庭園

当館の庭園には、ガラス彫刻作品がある洋風庭園と、枯山水の和風庭園があります。対照的な2つの庭園には、洋と和が出会う場=東西の文化交流の場という意味が込められています。

また、人工池から流れ落ちる水とガラスロードによる光の演出や、池と遠望の海を一体化させる演出など、「自然と人工」とテーマにした景観づくりを試みています。
現在、都合により人工池に水は流れておりません。